東洋美術の精粋水墨・墨彩画
社団法人日本南画院の歩み

 南画(南宗画)は、唐(中国)の王維に始まるとされる。
わが国には江戸時代にもたらされた。やがて逸然、隠元、木庵等禅僧の相次ぐ渡来とともに徳川治世の、儒学の奨励にともない儒学者、知識人達が南画のもつ独特の気韻と高き精神性を理解し、芥子園画伝や其他多くの画蹟等により、祇園南海など学者文人によって愛好作画された。
 これにより文人画的色彩を多分に帯びつゝ、大雅、蕪村、玉堂、木米、米山人、文晁、崋山、竹田等により日本独自の南画の基礎がきづかれました。明治に入り田能村直入、幸野楳嶺により明治十四年京都府画学校設立(現京都芸大前身)され、直入、自から校長となり続いて明治二十九年、東京に於いては児玉果亭、野口小蘋、小室翠雲、松林桂月により日本南画会成立、京都に於ては直入、鐵斎により日本南画協会の設立(現日本南画院はその発展途上にあり)やがて大正十年幾多の経緯を経つつも三井飯山、河野秋邨、小室翠雲、池田桂仙、水田竹圃、矢野橋村等により最初の日本南画院が創立され全国南画家の結集と発表、研究の場を持つことが出来ました。
 戦中は勿論、戦後はとくに依然として南画家の作品発表の場も少なかったが終りに昭和三十四年五月八日京都に於て松林桂月、矢野橋村、河野秋邨、を中心として社団法人日本南画院が結成。以来、回を重ねること実に四十二回。その間会長も松林桂月、矢野橋村、河野秋邨、河口楽土、直原玉青と継承され理事長も河野秋邨、直原玉青、蒋池武、渡辺悟仙、町田泰宣と引き継がれ現在に至っています。各時代に渉り、日本南画は手法的にも理論的にもほぼ完成されつつあったといえますが、日本風土の中により多くの素材を求めながら東洋美術の精粋と言われる水墨画、墨彩画が日本画、西洋画の写生手法を巧みにとり入れつつ近代日本画壇に翠雲、桂月とともに革新的な新南画の創造がなされたことは近代日本画壇に特筆すべき偉業であり、現日本南画院の指導精神をもなすものであります。